新しい病院を作ろう。

明石で新しい病院を作ります!

新しい病院を作ろう 7️⃣

もひとつ頼まなくっちゃ。

今度は病院プロジェクトの3年前に遡る。僕は全日本病院協会兵庫県支部という団体で若手の集まり(ヤングフォーラムっていう。ちょっと恥ずかしい)の世話人というお仕事を任された。
そのとき、ぜひお招きしてお話を伺いたい、とご無理をお願いしたのがstudio-Lの山崎さんだった。
コミュニティの力を引き出して地域を良くする、という山崎さんのお話はとても医療に世界にマッチすると考えた。
二回目お会いした時に新幹線からの大阪への帰り道、ずっとしゃべり続けた。一緒の講演会に参加してた野瀬病院院長の野瀬先生と挟み込んでサラウンドで。
僕たちが作りたい病院、地域とのコラボレーションについて語った。
それに対して山崎さんからも鋭い質問(突っ込み)が来る。
本来なら東京大学大学院の卒業論文の仕上げをしたいので、ちょっとだけなら、とお許しいただいた時間をすっかり奪ってしまった。
「面白そうですね。病院の事例はstudio-Lとしてもやったことないし、手がけてみましょう」
山崎さんのOKが出た。

(新しい病院オープンまであと43日)

新しい病院を作ろう 6️⃣

まだ、いつかは病院建て替えなきゃとは思ったものの、やる気はあるもののお金はない。

土地もない。そのころは現病院の敷地で建て替えるのかな、と漠然と思ってたぐらい。

鈴村から聞きました。

と、にこにこしたおじさんが譜久山病院にお越しになったのは、それからそう経っていない頃だった。伊藤誠さんは嘴の青い僕に付き合ってくれた大人だった。

こんな吹いたら飛ぶサイズの病院にちょこちょこお立ち寄りいただき、どんな病院を作りたいか、いろいろ夢のような夢を語り合ってた。

今の病院を一部壊しながら建て替えていく、というかなり無理目のプランも考えてくださった。

前の土地に合わせて書いた(もちろん、幻に終わった)病院の設計図を書いてくれたのも伊藤喜三郎建築研究所だ。

伊藤誠さんはいま、伊藤喜三郎建築研究所の専務をされている。

(新しいふくやま病院オープンまであと45日)

新しい病院を作ろう 5️⃣

設計事務所に頼まなくっちゃ。

実は設計事務所は決まっていた。病院設計のプロフェッショナル、伊藤喜三郎建築研究所だ。
付き合いはその時点から8年前。僕が病院管理者研修の講義でレクチャーを受けた時点に遡る。
鈴村明文さんがプレゼンされた那須塩原温泉病院に感動した。
ああ、こんなにおもしろい建築も病院で許されるんだ、って。こういう提案のできる設計者と病院を作ってみたいなと。
レクチャー終わったらすぐ、講師の鈴村さんにご挨拶しに行った。

まだ、いつ作れるかわかんないんですが、御社と一緒に病院を作りたいです!
鈴村さん、びっくりしたと思う。

(新しい病院オープンまであと46日)

新しい病院を作ろう 4️⃣

今度こそ掴まなくっちゃ。

そんな経験があり、今度の土地の件は逃すわけにはいかなかった。
今度の譜久山病院の建て替えには公的助成が入ることになっていた。耐震化対策のための事業費だ。5億6000万円。ありがたい。
これは助成が受けられる年度内で工事の着工が条件。土地の交渉を慎重に進めないといけなかった。
「坪2500円でお願いしたいのですが」
1000坪の敷地で月250万円。年間3000万円の支出はかなり思い切った決断だった。
長期貸借を30年間と決められ、30年後は更地返し。その期間の賃貸料はトータルで9億。
安くはない。が、時間もない。

決めた。

(新しい病院オープンまであと47日)



新しい病院を作ろう 3️⃣

轍を踏まないようにしなくっちゃ。

結果、負けた。
「まあ、3億までいけば十分でしょうが、余裕みて3億4000万円で」という譜久山病院のメインバンク系不動産会社のアドバイスに従って始まった土地の交渉。
確か入札になる前のお話では2億8000万円の購入額はどんどん吊りあがり、倍に達したところで僕は降りた。
これ以上の土地への投資は建物や設備の予算を削り取ることになる。兵庫県立がんセンターの横、1500坪。広さも十分で基幹病院との連携にも最適の立地だったけど、諦めることにした。
残念。

いま、そこは僕たちが競り合った戸建て住宅会社の住宅地になっている。

(新しい病院オープンまであと48日)

新しい病院を作ろう 2️⃣

土地を借りなくっちゃ。

そんな振られてばかりの日々に転機が訪れた。山陽電車さんが高架化するための事業用地が工事後に空くかも。そんなお話が飛び込んできた。

お伺いしますします。かなり前のめり気味に山陽電車本社を訪れる。

「うーん。貸してもいいけど、安くはないですよ」

ふくやま、固まる。

今度こそ決めなくっちゃ。

この話から遡ること2年。新しいふくやま病院の土地探しの話は別の場所でほぼ決まってた。マンション開発の会社が持っていた土地。計画が頓挫して宙に浮いていたところ、お話が譜久山病院に持ち込まれた。

債権を持っていた銀行も売却に賛成で、最初ギクシャクと始まった交渉も8割方決まったと思った。

そんな時「譜久山病院さんとだけ交渉をしているということになると銀行内で問題になりますので」と、もう一社との入札になる旨、お話があった。

仕方ない。

嫌と言える立場じゃない。


(新しい病院オープンまであと49日)

新しい病院を作ろう1️⃣

病院建て直さなくっちゃ。

大雨降ると雨漏りしたり、そもそも雨が降ってなくても水漏れしたり。三回に分けての増築、改築を重ねた動線は長く、複雑で夜中にトイレに行ったおばあちゃんが迷ったりしてた。
当時四十年を迎えようとしてた譜久山病院はいろいろ問題を抱えてた。

土地を探さなくっちゃ。
病院周りに土地は空いていないし、容積率200%のぎりぎりいっぱいまで使ってる。創業の地を離れるのは不安で、かつ心苦しく、近隣の土地を探し回った。
十数箇所の地主さん、会社の方とお会いしたけど、どこも土地を売ったり貸したりするつもりはないと、申し訳なさそうだったり、あっさりだったり、いずれにせよお断りのお返事だった。仕方ない。

(新しいふくやま病院オープンまで、あと50日)